代表部の仕事:国際ジュネーブ(International Geneva)について

令和3年8月12日

国際ジュネーブ(International Geneva)について
 

 国連行財政担当


※以下、意見にわたる部分は私見であり、当代表部・日本政府の公式見解ではありません。 
                                       

  • 現在の「国際ジュネーブ」
 アメリカのバイデン大統領とロシアのプーチン大統領は、2021年6月16日の対面での首脳会談の場にジュネーブを選びました。その前後の期間、ジュネーブ市内では非常に厳重な警備体制が広範に敷かれ、一部区画の立入制限、道路通行規制、公共交通機関の本数減便や一部路線の運航中止等もあり、市民の生活に大きな影響がありました。しかし、ジュネーブの住民は、多少の不満を口にはしつつも、「ゴルバチョフ書記長やクリントン大統領が来た時も大変だったもの。」と昔話をし、どうしようもないというジェスチャーで肩をすくめて、「国際ジュネーブ」ならではのことと受けとめているようでした。
 ジュネーブ州政府の数字によれば、ジュネーブには177か国の政府の代表部、39の国際機関(対象地域が限定されたものも含む)、431の非政府国際組織(NGO)があり、3万4千人以上がこれらの組織で働いています。
(参考:ジュネーブ州国際ジュネーブ・オフィス ウェブサイト「Facts and Figures」https://www.geneve-int.ch/facts-figures
 日本は、これらの国際機関の多くにおける加盟国かつ主要なドナー国として、各機関で扱われる課題のより良い解決のため、また、各機関のガバナンスの向上のために、情報収集、関係者との意見交換、各会議への出席・交渉等を行っており、その貢献が評価されています。
 当地の国際機関の一番の「顔」ともいえる国連ジュネーブ本部(United Nations Office at Geneva)の庁舎パレ・デ・ナシオン(Palais des Nations)には、多数の会議場・会議室があります。通常では、年間を通じて多くの会議が様々な分野(人権、人道、軍縮、経済と開発等)で開催され、数多くの出席者がそのためにジュネーブを訪れます。新型コロナウイルス感染症が流行する前には、パレ・デ・ナシオンで開催された会議の数は、年間で約12,000に上ったそうです。スイス政府はジュネーブ州・市とともに、これら国際的な組織の関係者や出張者のために「ウェルカム・センター」を設立し、ジュネーブでの勤務や生活を支援しています。
 ジュネーブ市の人口は約20万人、ジュネーブ州全体でも約50万人と、あまり大きくはありません。そのジュネーブに国際機関が集まり、国際的に重要な位置づけとなったのは「赤十字国際委員会(ICRC)と国際連盟がこの地に置かれたから」であると、多くのガイドブック等ではあっさりと説明されていますが、次項では、ジュネーブに国際連盟の本部が置かれた経緯に少し注目してみます。

 
国連ジュネーブ本部の万国旗(筆者撮影)
 
  • 国際連盟本部のジュネーブ設置
 1863年にジュネーブ出身のアンリ・デュナンの働きにより赤十字国際委員会(ICRC)の前身となる機関が設立され、1864年のジュネーブ条約調印によりICRCが発足して、当地に本部が置かれました。(ICRCについては、「ICRCの人道支援活動と日本の国際貢献」もご覧ください。なお、バイデン及びプーチン両大統領が6月に会談をしたジュネーブ市所有の歴史的邸宅(Villa La Grange)が置かれるラ・グランジュ公園で、ジュネーブ条約調印記念の祝祭が開催されたそうです。)
 その後、1919年の国際連盟の創設に際し、本部候補都市は、オランダのハーグ、ベルギーのブリュッセル、そしてスイスのジュネーブとローザンヌが挙がっていました。しかし、ハーグには既に常設国際司法裁判所の設置が予定されていたこと、創設の議論・交渉の場となったパリ講和会議に参加したスイスの代表団はジュネーブを重視していたことなどから、事実上ブリュッセルとジュネーブのみが候補地だったといいます。
 ブリュッセルの方がヨーロッパの大都市に近く交通も至便である一方、ジュネーブは平和主義者等からの評判が高く、カルヴァンの宗教改革の街、ジャン=ジャック・ルソーの出身地であるなど、革新的な思想を持つ人々の街と見られていました。加えて、ICRCも置かれていること、スイスの中立性が承認されていたことなどが強みとなったようで、1919年4月に国際連盟規約でジュネーブが本部と定められました。しかし、連盟理事会が本部所在地を変えられる旨の規定も規約にあったため、第1回国際連盟総会が1920年11月にジュネーブで開催されてからも、本部を他の地に移転したい人々による動きはしばらく続いたようです。
 なお、1919年にスイス連邦大統領だったギュスターヴ・アドールはジュネーブ出身でした。1920~1924年に国際連盟へのスイス代表団メンバー、1910~1928年にICRC会長も務めた人物で、ジュネーブ市内のイギリス公園には彼の胸像があり、近くには彼の名を冠した通りもあります。

 
スイスの政治家ギュスターヴ・アドールの胸像(筆者撮影)

 
  • 多国間主義100年
 2019年及び2020年は、その国際連盟の創設決定と発足からそれぞれ100周年で、当地では「多国間主義100年」と称して多くのイベントが予定されていました。残念ながら特に2020年に入ってからは新型コロナウイルス感染症の流行によりイベント中止・オンライン開催等を余儀なくされましたが、「ジュネーブでの多国間主義100年」という特設サイト(https://multilateralism100.unog.ch/)が国連ジュネーブ本部により作られました。また、同本部が保有する国際連盟のアーカイブはUNESCO(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」に登録されており、そのデジタル化プロジェクトが2017年から進行中です。(Total Digital Access to the League of Nations Archives Project (LONTAD) https://lontad-project.unog.ch/
 
  • 国際連盟の新渡戸稲造事務局次長
 国際連盟で活躍した日本人としては、旧五千円札の顔でもあった新渡戸稲造氏がいます。国際連盟の発足後、事務局次長に就任し、1926年までその職にありました。パレ・デ・ナシオンには、フィンランドと同国のオーランド地方政府から寄贈された絵がありますが、そこには、新渡戸次長が中心となって、バルト海のオーランド諸島はフィンランドに帰属すると裁定した、1921年6月の様子が描かれています。
 新型コロナウイルス感染症の影響で現在パレ・デ・ナシオンの見学ツアーは中止しており、また、後述のように、パレ・デ・ナシオンの改修プロジェクトが進行中であるため、実物はしばらく見られませんが、以下のリンク(国連図書館が管理する美術品データベース)から、写真を見ることができます。
(1)説明
https://unog.primo.exlibrisgroup.com/permalink/41UNOG_INST/oc5s35/alma991002211569602391
(2)写真
https://alma.ungeneva.org/sites/prod.alma/files/gallery/UNG136777.jpg
 
 なお、同じデータベース(以下リンク)で写真を見ることができる、パレ・デ・ナシオンにある日本関連の美術品として、1995年に国連創立50周年を記念し寄贈された砥部焼の地球儀「生命の碧い星」があります。こちらも、しばらくは見学できません。
(1)説明
https://unog.primo.exlibrisgroup.com/permalink/41UNOG_INST/oc5s35/alma991002156246102391
(2)写真
https://alma.ungeneva.org/sites/prod.alma/files/gallery/UNG73269.jpg
 
  • 現在の各国際機関の本部庁舎
 国際連盟発足からの100年間、様々な国際機関の本部がジュネーブに設置されたわけですが、国連ジュネーブ本部作成の3Dマップ(https://www.gvadata.ch/3dmap/)を見ると、ジュネーブの主要な国際機関の地理的な位置関係が分かります。
 国際連盟と同じくパリ講和会議で創設が決まった国際労働機関(ILO)は、1919年に第一回の国際労働会議をワシントンで開催しました。ILO本部は1920年7月にロンドンからジュネーブに移り、1926年にレマン湖畔に庁舎を新築後、1974年に現在の場所に移転しました(湖畔の庁舎はいくつかの国際機関の本部となった後、1995年からWTO(世界貿易機関)の本部庁舎となっています)。国際連盟の本部も、当初、湖畔のホテルに置かれていたそうですが、1929年に着工し1937年にかけて建設されたパレ・デ・ナシオンに移りました。
現在のILO本部庁舎、そして現・国連ジュネーブ本部庁舎であるパレ・デ・ナシオンは、老朽化を受けて、大規模な改修や新棟増設等の工事が進行中です。ITU(国際電気通信連合)やWHO(世界保健機関)の本部庁舎でも同様のプロジェクトを実施中です。
 ホスト国であるスイスは、国際機関の庁舎建築・改修プロジェクトに特別な融資を行って財政的に支援しています。ジュネーブ州・市も、周辺の道路や公共交通機関の利便性の改善を進め、ジュネーブの業務環境を向上しようとしています。
 
  • これからの「国際ジュネーブ」

 このように多数の国際機関と代表部が置かれ、NGO、シンクタンクや研究機関も多く存在するジュネーブの利点を生かし、特に国連ジュネーブ本部は、持続可能な開発目標(SDGs)の2030年達成に向けて、組織、分野を超えた協働とパートナーシップ推進のハブとなることを目指しています。オンラインと対面それぞれの長短が見えた2020年からの経験をふまえながら、それぞれの組織の強みを活かした取組を進めることが、「国際ジュネーブ」の各主体に求められていると言えるでしょう。
 
【参考文献等】
・<The League of Nations 1920-1946>, The United Nations Library at Geneva, the League of Nations Archives, 1996
・<100 Years of Multilateralism in Geneva – From The LoN to the UN> Edited by Olga Hidalgo-Weber & Bernard Lescaze, Editions Suzanne Hurter, 2020
・ジュネーブ州、ジュネーブ市、国連ジュネーブ本部及び国際労働機関ウェブサイト
・Swissinfo.ch(スイス公共放送協会(SBC)国際部ウェブサイト)     等