代表部の仕事:ICRCの人道支援活動と日本の国際貢献

令和3年7月5日

 

ICRCの人道支援活動と日本の国際貢献
 

           高島 剛 一等書記官
 
 私は、当代表部の人道班に所属し、人道支援、国際人道法に関係する国際機関や国際会議等への対応を主に担当しています。間もなく2年間の任期を終えるにあたり、「代表部の仕事」をテーマに執筆する機会をいただきました。2年間様々な業務を経験し、日本ではあまり知られていない日本の国際貢献の一端を担う機会を得たことから、お伝えしたいことはたくさんあるのですが、ここでは、私のメインの担当業務である赤十字国際委員会(ICRC)の活動内容を中心に、ICRCと日本との関係にも触れながら、日本の国際貢献の一端をご紹介したいと思います。

 
ジュネーブ所在のICRC本部(筆者撮影)

 
1 人道支援とは
 人道支援とは、主として、緊急事態またはその直後における、人命救助、苦痛の軽減、人間の尊厳の維持及び保護のための支援をいいます。紛争地における避難所の設置・運営、食料・水・衣料等の支給、医療サービスの提供といった支援がその典型です。
 国連人道問題調整事務所(OCHA)のデータによると、こうした人道支援を必要とする人々は、2021年において、2億3500万人にも上るとされています。紛争等を逃れて国外に避難する難民や、国内で避難する国内避難民は増加の一途を辿り、本年、難民は2000万人、国内避難民は5100万人まで増加すると試算されています。
 高まり続ける人道支援ニーズの主な要因は武力紛争です。アフガニスタン、パレスチナにみられるように、紛争が長引き、数十年にわたって人道支援機関が活動を継続している国も少なくありません。これに加えて、最近では、気候変動の影響による異常気象のため、干ばつ、洪水などの被害も増加し、人道状況をさらに悪化させています。新型コロナウイルスによる医療体制の逼迫や社会経済的影響により、脆弱な人々の暮らしはますます困難なものとなっています。
 
2 ICRCの起源
 こうした状況において、人道支援を必要とする人々に対し、実際に現場で支援にあたる人道機関の果たす役割は益々重要になっています。ICRCもそうした人道支援機関の一つです。
 ICRCの設立は1863年であり、世界で最も歴史のある人道支援機関です。ICRCは、ここジュネーブ出身の慈善活動家であり、後の第1回ノーベル平和賞受賞者でもあるアンリ・デュナンが、イタリア旅行中、サルデーニャ王国・フランス帝国の連合軍とオーストリア帝国軍とが戦ったソルフェリーノの戦いに遭遇した際、無数の戦死者・負傷者が散乱する惨状に心を痛め、武力紛争中において救護活動にあたる組織及びその活動を可能とする法的枠組みを創設することを決意し、結成した組織が前身となります。この救護活動を行うための組織が現在世界各国に創設されている赤十字社・赤新月社であり、そのための法的枠組みが現在のジュネーブ諸条約(ここでは深入りしませんが、武力紛争下においても紛争当事者が守るべきルールを定めたものです)になります。こうした創設時の思想を受け継いで、現在もICRCは武力紛争地域における人道支援活動、国際人道法の普及・発展に尽力しています。ICRCを含む赤十字運動(ICRCに加え、各国の赤十字社・赤新月社及びそれを束ねる国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)で構成される)は、中立・公平・独立を基本原則としますが、我が国もこれらの基本原則を尊重しつつ人道支援を実施しています。

 
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 アンリ・デュナン像(筆者撮影)


3 ICRCの人道支援活動と日本の支援
 一口に人道支援機関といっても、その活動地域や専門分野は機関によって様々です。たとえば、同じくジュネーブに本部を置く国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は難民の救助活動、昨年ノーベル平和賞を受賞した世界食糧計画(WFP)は食料分野の支援が主な活動分野です。ICRCの得意分野は、その創立の経緯を反映し、武力紛争地での活動です。現在、我が国を含む196か国が加盟するジュネーブ諸条約は、紛争当事者に対し、赤十字標章を掲げる救護者等への攻撃を禁止しており、ICRCは紛争地において人道支援を行うための特別な地位が認められています。また、ICRCはいかなる状況でも政治的中立性を堅持することにより、武力紛争の両当事者との間で信頼関係を築き、人道支援のためのアクセスを確立するノウハウを持っています。昨年の報告によると、ICRCは、世界中に存在する614の武装集団のうち、75%にあたる465の武装集団と対話を行っています。このように、他の人道支援機関では安全上の制約等からアクセスが困難な地域においても人道支援活動を行うことができるのがICRCの強みです。つまり、ICRCのスタッフは、シリア、イエメン、南スーダンなど、現に武力紛争下にある最も危険とされる地域においても、自国政府の支配が及ばない非政府武装勢力に支配された最も脆弱な立場に置かれた人々のために日夜働いているのです。このような活動が、人間の安全保障の理念を推進する日本がICRCを高く評価している重要なポイントでもあります。
 日本は、多くの主要な人道支援を行う国際機関との関係で、主要なドナーとして国際貢献を行っていますが、ICRCとの関係でもコンスタントに拠出を行っています。昨年度実績では約50億円の拠出を行っており、我が国はICRCの主要なドナーの一つとなっています。最近でも、アゼルバイジャンとアルメニアでの事業に100万米ドル(本年2月16日閣議決定)エチオピア・ティグライ州での事業に60万米ドル(同日閣議決定)ミャンマーとバングラデシュでの事業に670万米ドル(本年3月9日閣議決定)など、非常にデリケートな状況にある国・地域での活動に拠出を行っています。
 一方で、人道支援ニーズが高まっているからといって闇雲に資金を拠出することはできません。人道情勢は刻々と変化しており、限られた財源の中で適時的確に効果的な人道支援を実施するためには、世界各地の人道情勢はもちろん、各人道支援機関がどこで、どのような活動を行っているかを把握しておくことが不可欠です。そのため、当代表部は、ICRCを含む人道支援機関が開催する各種のブリーフや会議に出席し、日々情報収集を行っています。こうして蓄積された情報を基に、外務本省の関係各課において、支援先の地域・国、支援の規模、支援する活動の内容を検討し、効果的な支援を実施していきます。こうした日常的な情報収集に加え、世界のどこかで突如武力衝突が勃発し、緊急支援を実施するような場合には、東京の外務本省、スイスの当代表部とICRCの本部、支援対象となる国の事務所の間で、短期間に必要な情報収集を行う必要があります。時差の関係もあり、「××について今日中に回答をください」というような無理なお願いをしなければならないこともあり、限られた時間での慌ただしい作業になります。仕事とはいえ、普段からの人間関係が下地になければこのようなお願いはしにくいものです。こういったことにも円滑に対応できるよう、担当機関のカウンターパートと良好な関係を築いておくことも当代表部の重要な業務です。
 ICRCの業務の話題に戻って、その活動の特色としては、食料や物資の配給といった伝統的な人道支援にとどまらず、政府の治安部隊や非政府武装勢力への啓蒙活動等を通じて国際人道法の履行の確保に努めている点や、インフラ整備や職業訓練といった開発的な側面の支援を総合的に提供している点も挙げられます。また、ICRCは国際協力機構(JICA)や世界銀行などの開発機関との連携を積極的に進めています。こうしたICRCの活動は、我が国が推進する「平和・人道・開発の連携(ネクサス)」の理念にも合致しているといえます。当代表部では、ICRCの主要ドナー国で構成されるドナーサポートグループのメンバーとして、このようなICRCの人道支援のあり方や方向性についても助言を行っています。
 人道支援そのものとは離れますが、ICRCは日本の高い科学技術を人道支援活動に取り入れることにも積極的です。一例として、ICRCは早稲田大学との提携関係を結び、赤外線センサーを搭載したドローンを活用した地雷・不発弾検知の研究を行っています(参考:ICRCのHP)。また、そこに日本企業も参画し、実用化に向けた技術開発への連携が進んでいます。こうした共同研究は、日本の優れた技術の活躍の場をさらに広げることにつながるものであり、当代表部としてもサポートしていきたいと考えています。

 

最初のジュネーブ条約が締結されたアラバマ・ホール(ジュネーブ市庁舎内)(筆者撮影)

 
4 ICRCと国際人道法
 ICRCは、ジュネーブ諸条約にその名前と役割が記されている唯一の機関です。同条約によって、ICRCには、例えば全ての人道支援活動のイニシアティブを取る権利や、赤十字の標章への攻撃の禁止、また国際法廷などの裁判で証言をしなくてもよい等の権利が認められており、特別な地位にある人道支援機関です。また、国際赤十字・赤新月運動規約(赤十字運動全般について定めた規約)上、ICRCはジュネーブ諸条約によって与えられた任務を遂行することが委任され、ICRCは国際人道法の守護者であるといわれています。
 しかし、ICRCが国際人道法の守護者であるといわれる理由は、それだけではありません。ジュネーブ諸条約はもちろん、地雷問題・対人地雷禁止条約(オタワ条約)、最近では自律型致死兵器システム(LAWS)に関する規制の議論など、ICRCは国際人道法にかかわる多くの重要な条約や枠組みでイニシアティブをとり、議論をリードしてきました。このことからも分かるように、国際人道法の分野におけるICRCの影響力は非常に大きいものですが、これは単にICRCが多数の優秀な国際人道法の専門家を抱えているというだけでなく、紛争の最前線での実体験を踏まえた切実な訴えとして多くの人に受け止められているからではないでしょうか。
 あまり知られていないかもしれませんが、国際人道法の普及、履行促進という点でも我が国とICRCは多くの場面でその問題意識や価値観を共有しています。一例として、日本は、「紛争下の医療」に関する国連安全保障理事会決議第2286号(2016年)決議を起草しています。同決議は、紛争当事者による医療施設や医療スタッフへの攻撃を非難し、国際人権法及び国際人道法を含む国際法上の義務の遵守等を要請することを内容としています。本年5月3日で採択から5周年を迎え、宇都外務副大臣が、国際社会に対し、新型コロナウイルス感染症が拡大する中での医療アクセス及び医療従事者の保護を含め、紛争下の医療に関する一層の協力を促すためのビデオメッセージを発出しています。ICRCも、同決議からの5年間における紛争当事者から医療従事者への攻撃に関するデータを公表し、同決議の遵守を呼びかけています(参考:ICRCのHP)。
 また、当地において、4年に1度、赤十字運動の活動方針を決定するため、ICRCや各国の赤十字・赤新月社はもちろん、ジュネーブ諸条約締約国政府の代表が参加する赤十字・赤新月国際会議という非常に大規模な会議が開催されています。2019年に開催された第33回赤十字国際会議において、我が国は日本赤十字社と共同で、サイバー空間での国際人道法の議論を促進するというプレッジ(約束)を行いました。科学技術の発展に伴って、サイバー攻撃の脅威は日に日に高まっていることがその問題意識です。ICRCはサイバー攻撃の分野においても国際人道法が適用されるべきであるとして議論をリードしています。
 このように、ICRCは人道支援機関として武力紛争下において非常に困難な活動を実施できるというだけでなく、日本と多くの分野において問題意識や価値観を共有している重要なパートナーです。ICRCの活動を担当として2年間見守ってきた者として、今後もICRCとの協力関係が維持・強化されていくことを期待しています。