代表部の仕事:グローバルなデジタル経済の発展に向けて~WTO電子商取引交渉の取組~

令和3年6月25日


グローバルなデジタル経済の発展に向けて~WTO電子商取引交渉の取組~
 

 
 
内藤 頼孝 一等書記官
 
 2018年6月に当地に着任してから早3年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部の一員としてWTO(World Trade Organization)関係の業務を担当してきました。今回、この3年間の業務の中で、特に多くの時間を割いて取り組んできた電子商取引分野の交渉についてご紹介をできればと思います。
 
 WTOは、もとは、1947年に自由貿易を推進することを目指して採択された関税と貿易に関する一般協定(GATT:General Agreement on Tariffs and Trade)の枠組みに起源を持つ、歴史ある国際機関です。GATTの枠組みは、関税の引き下げ等を通じて国際貿易の自由化を促進し、日本経済を含む世界経済の成長に貢献してきました。伝統的な物品貿易をカバーするこのGATTの枠組みに加えて、サービス(例:電気通信、金融)や知的所有権のような新たな分野もカバーする形で誕生したWTOは、1995年1月に128の原加盟国により設立された後、中国の加盟(2001年)やロシアの加盟(2012年)を得るなどして拡大を続け、現在の加盟国数は164に達しています。

 
ダボスでの電子商取引交渉の立ち上げ(2019年 筆者撮影)


 一方で、加盟国が増加したことや、急速な経済成長を遂げる国々の台頭などにより世界経済の状況が変化したことによって、WTOにおける各国の思惑が多様化し、また、各国の間の立場の違いが拡がっていることも事実です。このため、加盟国全体のコンセンサスによる合意を原則とするWTOにおいて、時代の変化に対応したルールの更新ができていないといった問題も生じています。WTOが今後も国際貿易・経済にとって重要な存在であり続けるためには、このような問題を放置することなく、その解決に向けた取組を進めていくことが急務となっています。そのような取組の一環として、現在、志を共有する国々の間で、デジタル化の時代に対応した新たな貿易ルール(電子商取引に関するグローバルなルール)の策定に向けた交渉が進められています。この交渉は、オーストラリア、日本、シンガポールの3か国による共同議長体制のもとで行われており、WTO加盟国の過半数となる86か国(米国、EU、中国等を含む)が参加しています。(参考:https://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/it/page22_003579.html
 
 電子商取引がカバーする概念は幅広く、オンライン・ショッピングサイト(例:Amazon、楽天)を経由して商品の注文・支払いを行い、その配送を受けるようなケースもあれば、コンテンツ配信サイト(例:Netflix、YouTube)を経由して動画、音楽、書籍等のコンテンツを電子的に受信するようなケースもあります。また、貿易関連の手続き・書類の電子化、売買契約の当事者による署名の電子化のような話も存在します。このような様々な側面を考慮した上で、グローバルな電子商取引の促進、更には便利で安全・安心なデジタル経済の発展に資するような高い水準の成果を実現するべく、WTOにおける電子商取引に関するルールの策定に取り組んでいます。特に、現下の新型コロナウイルス禍においては、ロックダウン等の制約に伴う新たな生活・労働様式に対応するため、クラウド、オンライン・ショッピング、動画等のコンテンツ配信、遠隔医療、遠隔教育、遠隔会議等の各種オンライン・サービスの利用が世界的に大きく伸びています。WTOにおいても、各国からジュネーブへの出張が困難な状況の中で、遠隔会議サービスを最大限に活用する形で会議や交渉が行われています。このようなオンライン・サービスの円滑かつ安全・安心な提供を確保するためのルールの策定は、まさにタイムリーで喫緊の取組であると言えます。

 
 交渉(遠隔会議)の様子(筆者撮影)


 一方で、発展段階の異なる様々な国を抱えるWTOの性質上、途上国への配慮も不可欠となります。デジタル化がもたらす恩恵を途上国が享受するためには、そのための基盤となる情報通信インフラや人材・能力の不足といった課題に対処していく必要があります。また、物理的な商品が電子的なコンテンツ(税関を通らない商品又はサービス)へと置き換わっていく場合に、関税収入への依存度が高い途上国の歳入への影響をどのように捉えるのか、といった課題にも対処していく必要があります。これらの課題について、WTO以外の関連の国際機関とも連携しつつ適切に対処していくことで、途上国を含めた包摂的な形で、電子商取引に関する高い水準のルールを実現していくことが求められます。
 
 ここで交渉の現状について少し触れてみましょう。交渉は大きく分けて、以下の6つのカテゴリーについて行われています。
  • 円滑化要素:貿易手続きの電子化の促進、電子署名の受入等を通じて、円滑な貿易取引を実現するための規律
  • 自由化要素:国境を越えたデータ流通の促進、自国内へのサーバの設置要求の禁止、オンライン・コンテンツに関税を課さない慣行の維持等を通じて、    自由な電子商取引環境を実現するための規律
  • 信頼性要素:電子商取引を利用する消費者の保護、プライバシーの保護、ソースコードの保護等を通じて、電子商取引の信頼性を確保するための規律
  • 横断的要素:サイバーセキュリティ等に関する政策協力、デジタル・ディバイドの解消といった、電子商取引全般に関わる規律
  • 電気通信:市場に対する著しく大きな影響力を持つ電気通信事業者が、その影響力を濫用しないような規制を設けるための規律
  • 市場アクセス:電子商取引関連の物品やサービス(コンピュータ関連サービス、電気通信サービス等)に関する市場を開放するため約束等)
 
 これら多岐にわたる議論の中で特に重要なものとして、データ流通に関する議論を挙げることができます。データは、その経済的価値から次世代の石油とも言われ、その流通はあらゆる電子商取引の基礎となるものです。しかしながら、データ流通の促進に当たっては、自由化(自由なデータ流通)と信頼性(プライバシーの保護、セキュリティの確保、知的財産の保護等)との間の適切なバランスを図ることで、皆が安心して電子商取引に参加できるような「信頼性のある自由なデータ流通(DFFT:Data Free Flow with Trust)」を実現していくことが求められます。
(参考:https://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/it/page22_003424.html
 また、データ流通を巡っては、各国ごとに様々な枠組みが存在しています。例えば、ビジネス活動に資する自由なデータ流通を重視する日本・米国等の枠組み、基本的権利としてのプライバシーの保護を特に重視するEU等の枠組み、データの保護やセキュリティ等を重視する中国・ロシア等の枠組みを挙げることができるでしょう。これらの枠組みが相互に運用し合えるような状況を実現し、グローバルな電子商取引を一層促進していくためのルールの実現に向けて、各国が知恵を絞っていく必要があります。
 データ流通に関する議論を含め、各国の立場の違いを踏まえた上で、どのようにして交渉の妥結を実現するのか-その実現に向けて、オーストラリア、シンガポールとともに交渉の共同議長国を務める日本には大きな責任が課せられています。(その裏返しとして、各国からの期待も大きいと言えるのかもしれません。)
 
 本年末に予定されている第12回WTO閣僚会議において交渉の実質的な進展を実現するため、オンラインで連日開催される交渉会合に対応するなど、現在、各国がハードワークに励んでいます。交渉の共同議長国として、この機運を維持することで、デジタル化の進展を通じた便利で安全・安心な社会を実現し、日本経済を含む世界経済の一層の発展を促進するため、そして、WTOにおける新たなルール策定(志を共有する国々によるルール策定)に向けた道を切り開くため、引き続き精力的に取り組んでいきたいと思います。