代表部の仕事:WTOの委員会議長を務めて
WTOの委員会議長を務めて
青竹 俊英 参事官
2020年7月1日から約1年間、世界貿易機関(WTO)のサービス貿易理事会(CTS)の下に4つある下部組織の一つ、特定約束委員会(Committee on Specific Commitments)の議長を務めています。これまでOECD代表部での勤務やアジア開発銀行への派遣等、国際機関との関わりが比較的多かったのですが、委員会の議長を務めたことは初めてでした。議長では、各国の間を仲介する苦労もあり、また、コロナ禍の中で会合開催にも工夫が必要でしたので、少し御紹介できればと思います。
WTO会議場で議長を務める筆者(写真左)(代表部撮影)
一般に、貿易というと物品(モノ)の貿易、貿易交渉というと関税削減交渉が思い浮かぶのではないかと思いますが、現在では、サービス貿易の重要性が増しています。サービス貿易といっても分かりにくいと思いますが、例えば、日本の方が海外の大学のオンラインコースを受けた場合、日本の方が観光で海外に行き現地で買い物した場合、アメリカの企業が日本に支店を置いて企業展開した場合、外国人弁護士が日本に来て法律業務を行った場合など、いずれも、サービス貿易となります。コロナ禍の中で、人の移動は困難になっていますが、そういった中でも、オンラインを通じたサービス提供は益々盛んになっています。
WTOにおいては、サービス貿易に関する基本的なルールとして、サービスの貿易に関する一般協定(GATS)が定められています(「ガッツ」と読みます。詳細については、外務省のホームページにまとまっていますのでご覧下さい。)。サービス貿易においては、自由化交渉を進めるといっても、物品における関税のように分かりやすいものがありません。そこで、各国は、自由化交渉の結果、サービス・セクター毎に、内国民待遇(外国の事業者と国内の事業者を差別しない)、市場アクセス(例えば、外資100%の参入を認めるといったこと)を個別に約束しており、これらを「特定約束」と呼んでいます。
私が議長を務めた特定約束委員会は、(1)加盟メンバーの約束の実施状況を監督すること、(2)技術的正確性や一貫性向上の観点から特定約束を精査すること、(3)約束表(各国がそれぞれの特定約束を記載している表)を修正する手続きの適用を監督することをその任務としています。
ここでWTOにおける議長の役割を簡単にご説明します。WTOには、各種の理事会、委員会がありますが、基本的にはメンバー間の会合ですので、メンバーから議長が選出されます(ただし、貿易自由化交渉の総括をする貿易交渉委員会は、例外的に事務局トップであるオコンジョ=イウェアラ事務局長が議長を務めています。)。メンバーとは別に、WTO事務局には、それぞれの会合の担当職員がおり、会合の開催、記録作成等を支援してくれます。事務局の担当職員は、長年同じ会合を担当し、サービス貿易に詳しいエキスパートで、非常に頼りになる存在です。一方、事務局の役割はあくまでも裏方ですので、メンバー間の議論において、片方を支持するようなことはできず、あくまでも中立的・技術的にメンバーを支援します。議長も、同じく中立的な存在ですが、メンバーの一人ですので、委員会として成果を出せるように一定の方向性を打ち出すことはできますし、また、メンバー間で合意できないことがあれば間に入って協議を行い、調整したりします(後述します。)。会合当日には、皆さんが想像されるように、議場に座り、議事進行を行います。なお、委員会として決定を行うときには、古風ですが、議場に置かれている木槌(「ガベル」と呼びます)を叩きます。また、議長である間は、日本政府としての発言をすることはできませんので、日本の立場については、別の同僚に出席してもらい、議場から発言してもらいます。
前置きが長くなりましたが、特定約束委員会の議論はかなり技術的な議論であり、当初は話す内容もよく分からず、一方、他国のカウンターパートには、サービス貿易だけを10年、20年と担当し、過去の経緯を熟知している人達もおり、対等に議論するのも困難を感じることがありました。
2001年に開始されたWTO全体の貿易自由化交渉であるドーハ開発アジェンダ(DDA)が頓挫し、その一部であるサービス貿易自由化交渉も行き詰まるなか、特定約束委員会の議論も近年低調でしたが、私が議長を引き継いだ際には、ある先進国が一つの提案を出していました。その提案は、透明性向上の観点から、各国の特定約束のうち条件付きのもの(例えば、「関連国内法制が自国で整備されるのであれば(*条件付きの部分)、●●市場への外国企業の参入を制限しない。」など)が、現状どうなっているか確認したいというものです。日本としては、透明性向上に繋がるものであり、このような提案は支持できるものでした。
一方、これに対しては、透明性向上を名目にしつつも、実際には、更なる自由化を迫られるのではないかといった懸念が途上国側にありました。私が議長に選出された2020年7月の会合において、作業開始に合意することができず、次回会合までの間に、議長が関係国と協議(コンサルテーション)を行うということが決まりました。
突然、新議長の責任にされてしまったのですが、WTO事務局の助けも借りて、今後想定される作業について、懸念を示していた途上国などと協議を行いました。各国とも、それぞれ本国の指示を受けて発言しており、厳しい発言をするメンバーもいましたが、なんとか、次回10月会合において作業を開始することには反対しないという合意を得ることができました。それでも、反対しないとの回答を得たのは、10月会合の直前であり(途上国側もそれぞれ首都との調整や、他の途上国との調整などもあったようです)、もし今回の会合でも合意が得られないのであればそもそも会合開催を先延ばしした方が良いのではないかとの指摘も受けていたところでしたので、無事にまとまり安心しました。
なお、WTOでの意思決定は基本的には、どの加盟国も正式に反対しないことを意味する「コンセンサス方式」によるものとされています。なお、全ての加盟国から正式に支持を得る場合は「全会一致」と呼びますが、そこまでは求められません。ただ、開発金融機関などの国際機関で用いられているような多数決による意思決定ではないので(私が一時期勤務していたアジア開発銀行では、基本的には投票権に基づく多数決で決定していました。)、コンセンサスによる合意を得るためには、反対するメンバーが出てこないように、より丁寧な説得が必要となります。
ちなみに、冒頭申し上げましたが、コロナ禍を受けて、会合開催の形式も様々でした。議長を引き継いだ2020年7月の会合は、スイスでの感染第一波が落ち着いたところであり対面形式で開催されました。しかし、感染が急拡大したため、2020年10月の会合は、一か国1名のみ議場に来ることもできるし、オンラインで発言することもできるというハイブリッド形式でした。その後、2020年12月の会合、2021年3月の会合については、感染拡大が継続したことを受けて、いずれもオンライン形式で開催されました(ただし、議長と事務局職員だけは議場から参加しました。)。2021年6月の会合は、スイス国内の行動規制が緩和されたことを踏まえ、再度ハイブリッド形式に戻りました。
対面形式の場合には、議場の雰囲気も分かりやすいですし、ある国の発言に対して他の国が直ぐに呼応したりするなど、よりダイナミックな議論があるのですが、オンライン形式ででは、発言者以外の表情も見えず、議場の雰囲気が伝わってこないやりにくさがありました。
議長就任以降は、日本政府の立場を離れ、議長として公平性・中立性を維持するように意識していました。サービス貿易交渉においては、一般に、サービス業が進んでいる先進国と、そうではない発展途上国の間の立場の違いが大きく、上記に述べたように、途上国側には懸念もありました。提案を出したのは先進国であったので、その仲介をするにあたって、一方に肩入れしていると思われないように努めました。
特定約束委員会は、技術的な議論を行う通常委員会であり、直ちに貿易自由化の成果に繋がるといったことはないですが、いつものように日本の立場から発言するのではなく、議長としてメンバーの間を仲介し、まとめることに貢献できたことは良い経験となりました。