代表部の仕事:第12回WTO閣僚会合と農業交渉
令和4年6月24日
第12回WTO閣僚会合と農業交渉
猪口 隼人 参事官
(3)短期的な食料危機への対応
ロシアによる不法なウクライナ侵攻は、世界の主要な農産物(小麦、トウモロコシ、大麦、ひまわり油など)の有数の輸出国であるウクライナの輸出・生産活動に甚大な悪影響を及ぼし、世界の食料のサプライチェーンの途絶や価格高騰を招き、パンデミックにより既に深刻な影響を受けていた世界の食料安全保障を更に悪化させました。
こうした事態を改善する最も効果的な方法は、ロシアが戦争を止め部隊を撤退させ、ウクライナの農業生産・農産物輸出活動を正常に戻すことですが、一部の国が穀物や植物油の輸出規制を導入し市場の不確実性を更に増加させる負のスパイラルに陥っていたことから、貿易を司る国際機関としてのWTOが、「食料貿易の流れを止めない」という力強いメッセージを発することが求められました。
このような中、本年5月上旬には、我が国を含むG7メンバーが主導して、50を超える有志国とともに、「開かれて予見可能な農業・食料貿易に関する共同声明」を発出しました。我が国も、農業交渉における輸出規制規律の強力な要求国として、起草段階から関与し、先述のG10メンバーへのアウトリーチを積極的に行うなどの貢献を行いました。
また、大多数のメンバーが賛同する一方で、一部メンバーの反対によりマルチでの合意ができず長年の懸案となっていた、WFP(国連世界食糧計画)による人道目的の食料調達を輸出規制の対象としないという規律(輸出規制のWFP除外)についても、合意に向けた機運が高まってきました。
こうした動きの結果として、5月末にオコンジョ=イウェアラWTO事務局長及びアブラハム農業交渉議長が提示したMC12における農業の成果文書のドラフトとして、農業交渉の作業計画に加えて、食料安全保障宣言及び輸出規制のWFP除外決定の3つの文書として示されることに繋がりました。
先ほども申し上げたとおり、農業交渉の作業計画は合意に至りませんでしたが、他の2文書は閣僚級の大議論の末、一部修正の上合意することができました。特に食料安全保障宣言においては、国内生産と並んで貿易が世界の食料安全保障のために非常に重要であること、WTOルールに則らない輸出規制を行わないことなどが盛り込まれており、我が国にとって大きな成果が得られたものであると自負しております。
(4)農業アタッシェ同士の信頼関係の構築
このほか、お互いの国のポジションを超えた農業アタッシェ同士の信頼関係の醸成にも意を用いました。会食など社交の場を通じた関係強化に加え、公式・非公式を問わずお互いの本音をぶつけ合う議論こそが信頼醸成に繋がることを学びました。特に私が取り組んだことは、常に相手の発言に関心を持っていることを示し続けることです。交渉会合の後に、「今日の発言は、議論の流れを変えるのに効果的だったね」とか、「前回から発言のポイントが少し変わったけど何か理由はあるの」とか、「国の立場を繰り返すしかないのだろうけど、あの流れであの発言をしなければいけなかったのは辛かったね」といったコミュニケーションを積極的に取ることで、相手への関心を示すことができ、それが相手の私に対する関心に繋がり、関係強化に役立ったと考えております。こうした農業アタッシェ同士の個人的な繋がりは、交渉最終盤あるいはMC12本番において、様々な情報が錯綜する中にあっても、効果的な情報収集と情勢分析に大いに役に立ったと考えています。
4.おわりに
今回のMC12における農業交渉は、会期延長や深夜の交渉会合にも柔軟に対応いただいた武部農林水産副大臣をはじめとする農林水産省の交渉チームと、山﨑大使以下ジュネーブ代表部がうまく連携して取り組んだ結果、最も難しい分野の一つと言われていた農業分野において、我が国にとって望ましい成果が得られたほか、WTOによる多角的貿易体制の重要性を改めて示すことができたと考えております。
また、交渉の内容(サブ)以外にも、ジュネーブ代表部の各担当と連携して取り組むことができました。特に広報チームには、プロの視点から効果的なメディア発信についてアドバイスをいただきながら丁寧に対応することで、日本の皆様に今回の合意の意味合いをタイムリーに正しくお伝えすることができたと思います。
1.はじめに
6月17日未明、ジュネーブのWTO本部で開催された第12回WTO閣僚会合(MC12)が、会期延長の末、閣僚宣言を採択し閉幕しました。MC12は、当初はカザフスタンのヌルスルタンでの開催が予定されていましたが、新型コロナウイルスの影響などにより数度の開催延期を経て、ジュネーブでの開催となったものです。前回2017年末のブエノスアイレスでのMC11では閣僚宣言を採択できなかったので、2015年末のMC10以来約6年半振りに閣僚宣言を採択できたことになります。中でも農業分野では、食料安全保障に関する宣言及び輸出規制のWFP(国連世界食糧計画)除外決定に合意することができました。本稿では、私が担当する農業交渉の視点からMC12までの議論を振り返ることにより、ジュネーブ代表部の農業アタッシェの仕事の一端を紹介したいと思います。
6月17日未明、ジュネーブのWTO本部で開催された第12回WTO閣僚会合(MC12)が、会期延長の末、閣僚宣言を採択し閉幕しました。MC12は、当初はカザフスタンのヌルスルタンでの開催が予定されていましたが、新型コロナウイルスの影響などにより数度の開催延期を経て、ジュネーブでの開催となったものです。前回2017年末のブエノスアイレスでのMC11では閣僚宣言を採択できなかったので、2015年末のMC10以来約6年半振りに閣僚宣言を採択できたことになります。中でも農業分野では、食料安全保障に関する宣言及び輸出規制のWFP(国連世界食糧計画)除外決定に合意することができました。本稿では、私が担当する農業交渉の視点からMC12までの議論を振り返ることにより、ジュネーブ代表部の農業アタッシェの仕事の一端を紹介したいと思います。
未明の合意直後の武部農林水産副大臣(右)と山﨑大使(左)
疲れを忘れて笑顔でWTOを後にする交渉チーム(筆者は左から2番目)
2.WTO農業交渉の背景と我が国にとっての意味
WTO農業交渉については、ウルグアイラウンド交渉(1986~93年)を経て1995年に発効したWTO農業協定に基づき2000年に交渉開始し、2008年には関税や国内助成の削減ルール(モダリティ)合意の直前まで行ったものの交渉が決裂、その後も交渉は継続するも停滞し、バリ(2013年)、ナイロビ(2015年)の閣僚会合で部分的な成果が得られたのみでした。先進国と途上国、輸出国と輸入国で主張が大きく異なる中、前回ブエノスアイレスでは何ら成果が得られなかったので、今回のMC12では、農業分野でたとえ小さなステップであっても何らかの進展を得ることが、ルールに基づく多国間貿易体制を維持する上で強く求められている状況でした。
我が国は、農産物の輸入額から輸出額を引いた額が中国に次いで世界第2位の食料純輸入国であり、家畜の輸入飼料も考慮すれば、国民の消費カロリーの6割以上を輸入に依存していることになります。国民への食料の安定供給のためには、国内農業を持続的な形で維持発展させることの重要性はもちろんですが、世界の農産物市場が透明性・予見可能性を維持しながら常に開かれた状態にすることにより、安定的な輸入を確保することも我が国の食料安全保障に直結する大きな課題です。だからこそ、世界の農産物貿易のルールを作るWTO農業交渉は、我が国にとって死活的に重要なのです。
3.MC12に向けた農業アタッシェとしての活動
(1)目標
私は、2019年6月にジュネーブ代表部に農業アタッシェとして着任し、WTO農業交渉の最前線を担当することとなった際に、
・我が国の国内農業の発展や農業政策を制約するような貿易ルールが形成される流れにならないよう十分に留意すること
・主要な交渉分野と言われている国内助成や関税のルールに加え、輸出規制に関するルールも重要な交渉分野として確立すること
・現状維持(成果ゼロ)を追求するのではなく、可能な限り前向きな成果を得る中でこれらを実現すること
の3点を目標に掲げました。
(2)今後の農業交渉の進め方(作業計画)
ウルグアイラウンドも含め従来のWTO農業交渉での議論の中心は、市場アクセス交渉(関税削減など)でしたが、多くの加盟国がFTA・EPAにより市場アクセスの改善を実現する中で、現在は、FTA・EPAでは対応が困難な国内助成(補助金や市場価格支持など)の新たなルールづくりが大多数の加盟国にとっての優先課題となっています。大多数の優先課題であると言っても、輸出国グループや途上国グループのアプローチは大きく異なり、直ちに新たな国内助成ルールが出来上がる状況にはありませんが、今後の国内助成に関する交渉の進め方を全体の「作業計画」の中にどう位置付けるかが最大の焦点となりました。もちろん、国内助成分野は、多くの農業補助金を有する我が国にとってセンシティブな分野であり、「G10」という食料輸入国グループ(日本、スイス、ノルウェー、韓国、台湾など)と協調して、輸入国の立場が反映されるよう対応することが基本になるのですが、これに加えて私は、時にはG10の立場を離れて、単に反対するのではなく、これまで国内で行ってきた農業改革の成果を他の加盟国にも促す立場から、ケアンズ・グループ(豪州、ブラジル、カナダなどの輸出国グループ)や米国・EUとの議論に原案作成段階から積極的に関与するといった対応を重視しました。輸出国が提案を作成する段階に関与することは、後に反対しづらくなるというリスクもありますが、一方でコンセンサスを得るためには予め輸入国のセンシティビティに配慮した案にすることが不可欠であることを言い込むこともできます。時に国の立場の主張と個人的考えの主張を使い分けながら立ち回ることにより、国内助成の改革の提案を我が国にとってマイルドなものにすることに成功するとともに、要求側からの情報も多く入るようになるというメリットもありました。
農業交渉において、我が国にとって「攻め」の関心事項ももちろんあります。食料輸入国が、輸出国からの貿易自由化の要求を受け入れるに当たり、その輸入食料が安定的に供給されること、すなわち輸出規制などにより人為的なサプライチェーンの途絶が行われないことが大前提となるのは当然です。輸出規制についての現在の規律についてみると、ガット11条において、輸出入に関する数量制限を一般的に禁止する一方で、「輸出の禁止又は制限で、食糧その他輸出締約国にとって不可欠の産品の危機的な不足を防止し、又は緩和するために一時的に課するもの」は例外的に認められるとしつつ、これに加え農業協定12条において、例外的に食糧の輸出規制を実施する場合には、輸入国の食料安全保障に及ぼす影響に十分な考慮を払うとともに、輸出規制の実施に先立ち、農業委員会に書面通報を行うことなどが定められています。しかしながら、この規律は、「危機的な不足」と判断する基準や、「一時的」な輸出規制の期間上限、事前通報の提出期限が具体的に定められていないなど、多くの曖昧さを含んでいるのも事実です。さらに、輸出規制の事前通報は、輸入国が調達先国を変更するなどの対応をとるのに不可欠な透明性要件ですが、多くの輸出規制が通報が行われないまま実施されているという実態もあります。
このため、我が国として、輸出規制の透明性・予見可能性の向上と、現行規律の明確化と更なる強化を目指し、輸出規制の実施や通報状況の実態についての分析ペーパーを数次にわたり提出するほか、パンデミックの下で実施された食料の輸出規制を分析するなど、輸出規制分野の議論をデータ・事実関係に基づき主導してきました。2021年夏には、スイス・リヒテンシュタイン・韓国・台湾・イスラエルとともに具体的な提案を提出し、また、分野横断的な透明性改善に向けて、EU・米国・カナダとともに具体的提案も提出し、これらがMCに向けた議論のベースとなる議長テキストに反映されました。
こうした「攻め」と「守り」の両面における担当レベルでの地道な活動やインプットを積み重ねた結果として、MC12に向けた交渉終盤における大使級の少数国会合において、分野間のバランスの重要性を強く主張し、MC12に提示された「農業交渉の作業計画」においては、国内助成や市場アクセスの分野において我が国の農業政策を制約するような交渉結果を予断するようなものとはならない一方で、輸出規制について、国内助成や市場アクセスと同等に重要な交渉分野の一つと位置付けられることができました。結局MC12では、この作業計画については、加盟国間の隔たりが埋まらなかったため合意に至らず、議論を継続することとなりましたが、分野間のバランスという観点からは、今後の農業交渉のいいベースを築くことができたと考えています。
WTO農業交渉については、ウルグアイラウンド交渉(1986~93年)を経て1995年に発効したWTO農業協定に基づき2000年に交渉開始し、2008年には関税や国内助成の削減ルール(モダリティ)合意の直前まで行ったものの交渉が決裂、その後も交渉は継続するも停滞し、バリ(2013年)、ナイロビ(2015年)の閣僚会合で部分的な成果が得られたのみでした。先進国と途上国、輸出国と輸入国で主張が大きく異なる中、前回ブエノスアイレスでは何ら成果が得られなかったので、今回のMC12では、農業分野でたとえ小さなステップであっても何らかの進展を得ることが、ルールに基づく多国間貿易体制を維持する上で強く求められている状況でした。
我が国は、農産物の輸入額から輸出額を引いた額が中国に次いで世界第2位の食料純輸入国であり、家畜の輸入飼料も考慮すれば、国民の消費カロリーの6割以上を輸入に依存していることになります。国民への食料の安定供給のためには、国内農業を持続的な形で維持発展させることの重要性はもちろんですが、世界の農産物市場が透明性・予見可能性を維持しながら常に開かれた状態にすることにより、安定的な輸入を確保することも我が国の食料安全保障に直結する大きな課題です。だからこそ、世界の農産物貿易のルールを作るWTO農業交渉は、我が国にとって死活的に重要なのです。
3.MC12に向けた農業アタッシェとしての活動
(1)目標
私は、2019年6月にジュネーブ代表部に農業アタッシェとして着任し、WTO農業交渉の最前線を担当することとなった際に、
・我が国の国内農業の発展や農業政策を制約するような貿易ルールが形成される流れにならないよう十分に留意すること
・主要な交渉分野と言われている国内助成や関税のルールに加え、輸出規制に関するルールも重要な交渉分野として確立すること
・現状維持(成果ゼロ)を追求するのではなく、可能な限り前向きな成果を得る中でこれらを実現すること
の3点を目標に掲げました。
(2)今後の農業交渉の進め方(作業計画)
ウルグアイラウンドも含め従来のWTO農業交渉での議論の中心は、市場アクセス交渉(関税削減など)でしたが、多くの加盟国がFTA・EPAにより市場アクセスの改善を実現する中で、現在は、FTA・EPAでは対応が困難な国内助成(補助金や市場価格支持など)の新たなルールづくりが大多数の加盟国にとっての優先課題となっています。大多数の優先課題であると言っても、輸出国グループや途上国グループのアプローチは大きく異なり、直ちに新たな国内助成ルールが出来上がる状況にはありませんが、今後の国内助成に関する交渉の進め方を全体の「作業計画」の中にどう位置付けるかが最大の焦点となりました。もちろん、国内助成分野は、多くの農業補助金を有する我が国にとってセンシティブな分野であり、「G10」という食料輸入国グループ(日本、スイス、ノルウェー、韓国、台湾など)と協調して、輸入国の立場が反映されるよう対応することが基本になるのですが、これに加えて私は、時にはG10の立場を離れて、単に反対するのではなく、これまで国内で行ってきた農業改革の成果を他の加盟国にも促す立場から、ケアンズ・グループ(豪州、ブラジル、カナダなどの輸出国グループ)や米国・EUとの議論に原案作成段階から積極的に関与するといった対応を重視しました。輸出国が提案を作成する段階に関与することは、後に反対しづらくなるというリスクもありますが、一方でコンセンサスを得るためには予め輸入国のセンシティビティに配慮した案にすることが不可欠であることを言い込むこともできます。時に国の立場の主張と個人的考えの主張を使い分けながら立ち回ることにより、国内助成の改革の提案を我が国にとってマイルドなものにすることに成功するとともに、要求側からの情報も多く入るようになるというメリットもありました。
農業交渉において、我が国にとって「攻め」の関心事項ももちろんあります。食料輸入国が、輸出国からの貿易自由化の要求を受け入れるに当たり、その輸入食料が安定的に供給されること、すなわち輸出規制などにより人為的なサプライチェーンの途絶が行われないことが大前提となるのは当然です。輸出規制についての現在の規律についてみると、ガット11条において、輸出入に関する数量制限を一般的に禁止する一方で、「輸出の禁止又は制限で、食糧その他輸出締約国にとって不可欠の産品の危機的な不足を防止し、又は緩和するために一時的に課するもの」は例外的に認められるとしつつ、これに加え農業協定12条において、例外的に食糧の輸出規制を実施する場合には、輸入国の食料安全保障に及ぼす影響に十分な考慮を払うとともに、輸出規制の実施に先立ち、農業委員会に書面通報を行うことなどが定められています。しかしながら、この規律は、「危機的な不足」と判断する基準や、「一時的」な輸出規制の期間上限、事前通報の提出期限が具体的に定められていないなど、多くの曖昧さを含んでいるのも事実です。さらに、輸出規制の事前通報は、輸入国が調達先国を変更するなどの対応をとるのに不可欠な透明性要件ですが、多くの輸出規制が通報が行われないまま実施されているという実態もあります。
このため、我が国として、輸出規制の透明性・予見可能性の向上と、現行規律の明確化と更なる強化を目指し、輸出規制の実施や通報状況の実態についての分析ペーパーを数次にわたり提出するほか、パンデミックの下で実施された食料の輸出規制を分析するなど、輸出規制分野の議論をデータ・事実関係に基づき主導してきました。2021年夏には、スイス・リヒテンシュタイン・韓国・台湾・イスラエルとともに具体的な提案を提出し、また、分野横断的な透明性改善に向けて、EU・米国・カナダとともに具体的提案も提出し、これらがMCに向けた議論のベースとなる議長テキストに反映されました。
こうした「攻め」と「守り」の両面における担当レベルでの地道な活動やインプットを積み重ねた結果として、MC12に向けた交渉終盤における大使級の少数国会合において、分野間のバランスの重要性を強く主張し、MC12に提示された「農業交渉の作業計画」においては、国内助成や市場アクセスの分野において我が国の農業政策を制約するような交渉結果を予断するようなものとはならない一方で、輸出規制について、国内助成や市場アクセスと同等に重要な交渉分野の一つと位置付けられることができました。結局MC12では、この作業計画については、加盟国間の隔たりが埋まらなかったため合意に至らず、議論を継続することとなりましたが、分野間のバランスという観点からは、今後の農業交渉のいいベースを築くことができたと考えています。
ハイブリッド会議で発言する筆者
(3)短期的な食料危機への対応
ロシアによる不法なウクライナ侵攻は、世界の主要な農産物(小麦、トウモロコシ、大麦、ひまわり油など)の有数の輸出国であるウクライナの輸出・生産活動に甚大な悪影響を及ぼし、世界の食料のサプライチェーンの途絶や価格高騰を招き、パンデミックにより既に深刻な影響を受けていた世界の食料安全保障を更に悪化させました。
こうした事態を改善する最も効果的な方法は、ロシアが戦争を止め部隊を撤退させ、ウクライナの農業生産・農産物輸出活動を正常に戻すことですが、一部の国が穀物や植物油の輸出規制を導入し市場の不確実性を更に増加させる負のスパイラルに陥っていたことから、貿易を司る国際機関としてのWTOが、「食料貿易の流れを止めない」という力強いメッセージを発することが求められました。
このような中、本年5月上旬には、我が国を含むG7メンバーが主導して、50を超える有志国とともに、「開かれて予見可能な農業・食料貿易に関する共同声明」を発出しました。我が国も、農業交渉における輸出規制規律の強力な要求国として、起草段階から関与し、先述のG10メンバーへのアウトリーチを積極的に行うなどの貢献を行いました。
また、大多数のメンバーが賛同する一方で、一部メンバーの反対によりマルチでの合意ができず長年の懸案となっていた、WFP(国連世界食糧計画)による人道目的の食料調達を輸出規制の対象としないという規律(輸出規制のWFP除外)についても、合意に向けた機運が高まってきました。
こうした動きの結果として、5月末にオコンジョ=イウェアラWTO事務局長及びアブラハム農業交渉議長が提示したMC12における農業の成果文書のドラフトとして、農業交渉の作業計画に加えて、食料安全保障宣言及び輸出規制のWFP除外決定の3つの文書として示されることに繋がりました。
先ほども申し上げたとおり、農業交渉の作業計画は合意に至りませんでしたが、他の2文書は閣僚級の大議論の末、一部修正の上合意することができました。特に食料安全保障宣言においては、国内生産と並んで貿易が世界の食料安全保障のために非常に重要であること、WTOルールに則らない輸出規制を行わないことなどが盛り込まれており、我が国にとって大きな成果が得られたものであると自負しております。
(4)農業アタッシェ同士の信頼関係の構築
このほか、お互いの国のポジションを超えた農業アタッシェ同士の信頼関係の醸成にも意を用いました。会食など社交の場を通じた関係強化に加え、公式・非公式を問わずお互いの本音をぶつけ合う議論こそが信頼醸成に繋がることを学びました。特に私が取り組んだことは、常に相手の発言に関心を持っていることを示し続けることです。交渉会合の後に、「今日の発言は、議論の流れを変えるのに効果的だったね」とか、「前回から発言のポイントが少し変わったけど何か理由はあるの」とか、「国の立場を繰り返すしかないのだろうけど、あの流れであの発言をしなければいけなかったのは辛かったね」といったコミュニケーションを積極的に取ることで、相手への関心を示すことができ、それが相手の私に対する関心に繋がり、関係強化に役立ったと考えております。こうした農業アタッシェ同士の個人的な繋がりは、交渉最終盤あるいはMC12本番において、様々な情報が錯綜する中にあっても、効果的な情報収集と情勢分析に大いに役に立ったと考えています。
4.おわりに
今回のMC12における農業交渉は、会期延長や深夜の交渉会合にも柔軟に対応いただいた武部農林水産副大臣をはじめとする農林水産省の交渉チームと、山﨑大使以下ジュネーブ代表部がうまく連携して取り組んだ結果、最も難しい分野の一つと言われていた農業分野において、我が国にとって望ましい成果が得られたほか、WTOによる多角的貿易体制の重要性を改めて示すことができたと考えております。
また、交渉の内容(サブ)以外にも、ジュネーブ代表部の各担当と連携して取り組むことができました。特に広報チームには、プロの視点から効果的なメディア発信についてアドバイスをいただきながら丁寧に対応することで、日本の皆様に今回の合意の意味合いをタイムリーに正しくお伝えすることができたと思います。