ジュネーブの国際機関で活躍する日本人職員(国際移住機関(IOM)木村 陽子さん)

平成30年4月9日


【ミャンマー事務所 人身取引対策・移民保護官 木村陽子さん】

Q1 所属機関の役割や目的について教えて下さい。

 

 国際移住機関(IOM)は1951年に設立され(本部ジュネーブ)、世界的な人の移動に関する様々な課題を専門に扱う唯一の国連機関です。加盟国は169カ国、世界の100カ国以上に393の事務所を持ちます(2017年時点)。「正規のルートを通して、人としての権利と尊厳を保障する形で行われる人の移動は、移民と社会の双方に利益をもたらす」という基本理念に基づき、人々への直接支援から政府への支援、移民問題に関する地域協力の促進、データ分析、調査研究など移住にまつわる課題の解決に努めています。国際・国内紛争、自然災害、気候変動、貧困、経済格差、若者の失業の増加、第三国定住、家族統合など、様々な理由で人々は移動します。IOMは、人が自由に移動する権利だけでなく、移住が経済・社会・文化と深く関わっていることを促進します。

 IOMは様々なセクターで活躍するとてもユニークな国連機関です。よく「難民支援と何が違うの?」と質問を受けます。ぜひ、IOMのウェブサイトを閲覧してみてください。

  https://www.iom.int/


ネパール地震の直後、緊急支援チームに加わり、被災地域で人身取引対策事業の立ち上げ

Q2 現在の仕事について教えて下さい。

 

 IOMの勤務は5年目になります。ジュネーブ本部で2年勤務の後、Counter-Trafficking, Protection Officerとして現在はミャンマー事務所に勤務しています。担当している仕事は、移民の保護(プロテクション)、中でも社会の中で脆弱な立場に置かれる移民の保護(国内移民も含む)、人身売買の予防と搾取された人々の保護とケアです。また組織の戦略、ガイダンス作りをはじめ、人身取引対策に関するミャンマー政府への助言、警察の人身取引対策特殊部隊と協力しながら、トレーニングや啓発による政府と市民社会のキャパシティー・ビルディング、データ収集と分析も重要な任務です。Migrant Crisisとも言及されるように、ここ数年、“Migration”(人の移動、移民)に関する社会情勢や国際社会の関心が大きく変化した背景があります。顕著な例が、ヨーロッパを目指し、船やボートで地中海を横断するアフリカからの移民・難民。シリア紛争を逃れて数々の国境を超える難民。メキシコ経由で北米を目指す中南米諸国からの女性や子供達。アジア・太平洋地域では、オーストラリアを目指すアジア諸国出身の移民や難民。移動の途中、命を落とした人々の正確な数は把握されていません。そして、現在私が赴任しているミャンマーでも深刻な人道危機が発生しています。ミャンマーの西部に位置するラカイン州からバングラデシュに逃れた大規模な無国籍のムスリム少数民族の移動や、過去に例を見ない速度で拡大した難民キャンプの映像は、メディアで大きく取り上げられました。一方、ミャンマーの北部、カチン州や北シャン州(中国国境付近)でもミャンマー政府軍と少数民族間で紛争が続き、地元住民は避難のため頻繁に移動を余儀なくされ、キャンプ生活が長期化しています。村人は家屋や仕事を失い、脆弱な立場にある人々は、仕事を求めてsmugglersやブローカーに頼り、その後搾取される(人身取引)リスクが高まります(性的搾取、強制労働、臓器売買、その他奴隷同様の扱い)。IOMはこれら人々の移動に関わる様々な問題について、政府や市民社会、他の国際機関と協力としながら活動しています。

 

コミュニティー参加型の人身取引対策啓発活動の教材作りに向けて、少数民族地域の市民団体社会や聖職者と共にワークショップ


Q3 仕事でやりがいを感じる時はどのような時ですか。

 

 やりがいを感じる時は、直接受益者の保護・支援、ケアに携わる瞬間です。受益者からの聞き取り面談、少数民族コミュニティーとの直接対話、保護された人身取引被害者への帰国後社会復帰支援などです。コミュニティーで重要な役目を果たす、カトリックやバプテストの聖職者(シスターや牧師)、僧侶とともに対策方法を話し合うこともあります。軍事政権から民主政権へ移行してまだ間もなく、激動するミャンマーです。紛争、少数民族の問題、度重なる自然災害、貧困など問題は山積ですが、多様でとてもユニークなミャンマーの社会と人々が活力の源です。

 

僧侶とともに、人身取引対策について話し合うワークショップ


ユースが人身取引の劇を少数民族カチン族の難民キャンプで演じる様子


Q4 国際機関やIOMで働こうと思ったきっかけは何ですか。

 

 人の移動について関心を持ったきっかけは、地元の企業や工場で働く日系人・外国人労働者との交流です。悩み事相談のように彼らの話を聞いているうちに、問題意識が高まりました。人の移動は今後重要な課題となるであろうと見通し、学部時代はブラジルに留学、現地のコンサルタント会社でインターンシップをしながら、移民問題について学びました。大学卒業後は、Médecins Sans Frontières (国境なき医師団)で様々な紛争地域で人道支援活動の現場経験を積みました。その後、専門知識を深めるため、ジュネーブとブリュッセルの大学院で、移民政策、国際法(移民法、人道法、難民法)を学びました。現場で仕事をしているとなかなか時間が取れない研究に没頭することができ、とても有意義な時間でした。大学院では、難民・庇護申請が不認定となり、欧州の市民権を取得できない人々の自主的帰国支援制度について研究をしていました。卒業と同時にJPO試験に合格し、IOMの本部が置かれるジュネーブに配属されました。ミャンマー事務所に異動した後、正規職員となりました。

 

カチン州のユースが人身取引のメッセージを送る様子。メッセージはIOMとコミュニティーやユースと共にデザイン。



Q5 これまでにどのようなキャリアを歩んで来られましたか。

 

 上述した通り、MSFで様々な紛争地域で経験を重ねた後(赴任地は、ダルフール、南スーダン(南北独立前)、チャド、レバノン・パレスチナ難民キャンプ)、大学院に戻りJPO制度を通してIOMの保護を担当する部署に配属されました。 JPOとはいえ、正規職員と垣根なく仕事を任されました。失敗を恐れずに、経験豊富な上司と出会い、現場のニーズに応じて様々な課題にチャレンジできる環境でこれまで働くことができ、チャンスに恵まれていると思います。

 

外国漁船上で搾取された漁師が過酷な状況から脱出するため、海に飛び込むシーンを描く。地元のユースが製作したストリートパフォーマンス。人身取引予防の啓発活動。



Q6 国際機関やIOMを目指す方へのメッセージをお願いします。

 

 よく学生の方から「どうやったら国連機関で働けるか?」と質問されます。個人的な見解ですが、国連機関で働くことを漠然な目的として進路選択することはお勧めしません。私の経験ですが、興味関心のある課題を追究して、好きで学んできたことが土台となり、その結果として現在の仕事に至りました。自分の興味関心と、人々の移動(mobility)をとりまく現代の世界状況(ニーズ)が一致しました。途中、軌道修正は誰にでも必要なので、あまり固着せずに柔軟な姿勢でチャレンジしてみることをお勧めします。

 最後に、JPOを検討されている方へ。JPO制度に応募する際には修士号が必要となります。大学院を選ぶ際、希望する専門知識を習得できるプログラムやコースがあると同時に、国際機関(NGO、国連機関、EU主要機関、シンクタンク等)が多く集まる都市をあえて選びました。研究をしながら、既にその業界で働いているプラクティショナーとのネットワークを広げ、興味のある職種やポストとの適合性を図っていました。私の経験ですが、JPOとして採用されるに至った主な要素は、次の3つであると思います:希望する機関の要となる専門知識、人道支援活動の現場経験(国境なき医師団)、語学(英語・フランス語で実務)。

 


(1日の仕事の流れ)

事務所以外でもwebメールでチェックできるため、回答可能な案件はその都度対応
8:30 出勤。ヤンゴンは渋滞するため、移動中に朝まで届いたメールに目を通してしまう。
9:00 部内スタッフと進捗ミーティング(プロジェクトの遅延など)。出張・重要事項情報シェア。
10:00 ケースマネジメント、データ(被害者保護)の進捗状況をスタッフからアップデート。
11:00 回答が必要な案件にメールと電話で対応(フィールド事務所、ミャンマー国内のパートナー、地域事務所バンコク、本部ジュネーブ、ドナー担当ワシントン)。重要な内部書類を読む
12:30 部内スタッフがドラフトした承認が必要な書類のレビューとサイン
13:00 ランチ
13:30 パートナー(現地のNGO)と会合、ワークプランのレビュー、情報シェア問題の解決模索
15:00 集中が必要な仕事に取りかかる(新規プロジェクトの案件と予算、ワークショップの教材作り、被害者支援に関するガイドライン作成、国内法を読む等様々)
18 :30 帰宅。締め切が近い案件は、自宅で仕事を続けることもあります(これはできるだけ避けましょう)

 

ネパール地震の直後、山岳地帯で被災したコミュニティー人の移動状況についてアセスメント



ネパール地震の直後、被災した山岳地域の村で、人身取引予防の啓発活動



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