第97回ILO総会伊藤厚生労働大臣政務官日本政府代表演説 (2008年6月9日)
伊藤厚生労働大臣政務官日本政府代表演説
2008年6月9日
議長、ありがとうございます。
はじめに、最近のミャンマーのサイクロン及び中国の地震の被災者の方々に対し、心からお見舞いを申し上げます。日本政府としても緊急支援を行っているところであり、一日も早い復旧を祈るものです。
議長、
来年はILOの創設90周年ですが、ILOと我が国とは永年の縁がありますので、記念の年に備え、少し過去の歴史をかえりみたいと思います。80年前、ILO事務総長として初来日されたアルベール・トマ氏は、綿織業労働者の状況の把握や、発足間もない社会局の職員との意見交換を行ったほか、
「日本の資本主義の父」として知られる、当時88歳の渋沢栄一と会見しました。
封建時代に農民の子として生まれ、幕末期には武士に、明治維新では政府の高官となり、その後事業家として活躍、やがて男爵、さらに子爵の位を得た渋沢は、いわば近代産業社会への日本の発展を象徴する人物といえます。
渋沢はトマ事務総長に対し、自らが大いに寄与した我が国への資本主義と産業主義の導入について、「必要なことだったのであり、後悔はしていません」と言明しました。しかし同時に、産業主義は痛みをも伴ったとし、「私は自らのなしたことを矯正あるいは補正するために、労使交渉における労働組合の認知を助け、安定と融和の回復を促すことを、自らの義務と心得ています」と述べました。後日、トマ事務総長は、理事会への報告の中で、この言葉に「少なからず感動を覚えた」と述べ、その精神を評価しました。
産業界のリーダーという立場から、市場の創造性や生産性が、公正や均衡といった観点からの補正を必要とすること、そして社会対話が枢要なものであることを認めた渋沢の言葉は、80年を経た今日も、そのまま通用するように思われます。
さらにいえば、渋沢の言葉の中で、「産業主義」を「グローバル化」に置き換えれば、より広く、今日の世界における我々の考え方、すなわち、グローバル化を否定はしないが、その社会的側面を重視し主体的に対応していく、という姿勢にも通ずるものがあります。
ILOは発足当初から世界平和を希求してきましたが、今日ほど、世界規模の相互依存が痛感されたことはありません。その一例が気候変動問題です。先月、新潟で行われたG8労働大臣会合では、雇用と環境のバランスの問題を取り上げ、ソマビア事務局長からグリーンジョブ戦略の主要課題の提示という形で、議論を先導していただきました。議論の成果として、成長、雇用、生産性及び環境問題の相互のバランスをとるために職場レベルの社会対話、社会協力を促進する「新潟宣言」が採択されたことをご紹介したいと思います。
新潟宣言の実践、そしてより広く我が国におけるディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の実現に向けて、引き続き事務局長のリーダーシップに期待いたします。グローバルな相互依存が進む今日、ILOの専門性はいっそう不可欠なものとなり、その機能強化が重要となっています。我が国は、今次総会で行われた関連議論を全面的に支持します。一方で、構成員への支援を効果的かつ効率的に行っていくための本格的な検討は緒に就いたばかりですから、我が国も引き続き、ILOを適切に導くための議論に注視していきます。
議長、
我が国は、ディーセント・ワークの実現に向け、ことに、アジア太平洋地域総局と連携しながら、「アジアにおけるディーセント・ワークの実現に向けた10年」による地域共通の取組を進めていく所存です。
ご清聴ありがとうございました。