館員の声:志野光子 次席大使 

「ソフィーの選択」をしなくても良い世界

 みなさんは、「ソフィーの選択」という映画をご存じですか? 1980年代の映画なので、ご覧になった方はほとんどいらっしゃらないかもしれません。でも、拙稿を読んでご関心を持たれた方は、是非、一度。メリル・ストリープの演技が素晴らしい作品です。
 みなさんにお勧めしていながら、私はこの映画、一度しか見ていません。というよりも、一度しか見ることができませんでした。それでも、未だに強烈に覚えているシーンがあります。(これからそのシーンについて、私の記憶の範囲ですが映画の内容を説明します。)
 ソフィーは第二次世界大戦中ドイツに住んでいたユダヤ人女性という設定です。彼女はアウシュビッツ強制収容所に移送され、子ども2人とともに選別の列にならびます。「Links. Rechts.」左か、右か・・・生死を分ける2つの単語が繰り返される列です。そして、ソフィーと子どもたちの順番になったとき、判定するナチス党員が言うのです。「どちらか1人は連れていって良い。」つまり、母親であるソフィー自身が、自分の子どものどちらが生きてどちらが死ぬかを「選択」しなくてはならないのです。
 このシーンは、私の記憶の中に悪夢のように残っています。当時は、まだ高校生だったので、自分と自分の妹を想い、第三者に「自分たちで運命を決めろ」と言われたときに、自分はどうするんだろうと、恐怖しながら考えました。その後、自分自身2人の子どもを持つ母親となると、いっそう強烈な恐怖を抱きつつ「ソフィーの選択」を迫られる自分を想像し、そして自分がソフィーの立場にいない幸運を、心の底から感謝したものです。
 しかし、世界には、未だに「ソフィーの選択」を迫られる人々がいます。
 難民キャンプの映像を見る度に、虐殺のニュースを聞く度に、干ばつや飢餓や自然災害の話を知る度に、そのニュースの現場に実在する「ソフィー」たちのことを考えます。自分の子どもを、家族を、友達を、救えなかった「ソフィー」たちの絶望を共にします。



 1948年12月10日、世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)が国連総会で採択されました。今年で70年となります。この宣言は、「国際(international)人権宣言」ではありません。なぜなら、人権は国(national)の問題ではないからです。人類全ての構成員(all members of the human family)の権利だからです。国境を越えて、全ての人の権利を謳った宣言なのです。
 それは、私たちが「ソフィー」にならないことを、「ソフィーの選択」をしなくてもよい世界をつくることを、一人の人として、心から希求して作った宣言なのです。



 ジュネーブは人道の街と言われています。国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)、国際移住機関(IOM)、赤十字国際委員会(ICRC)と国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)、国際防災戦略事務局(UNISDR)。人道に直結していなくても、人がよりよく生きることに貢献する世界保健機構(WHO)、国際労働機関(ILO)、グローバル・ファンド、世界知的所有権機関(WIPO)、世界気象機関(WMO)等等等。



 大量の書類を抱え、これらの機関が開催する会議に出席し、世界が抱える人道上の課題を次々提示されると、それだけで体力的にも精神的にも疲弊していきます。それでも、世界のどこかに存在する「ソフィー」の絶望を考えると、他に自分にできることはないのかという焦りのような気持ちが生まれてきます。そして、志を同じくする各国代表部の仲間たちや各種機関の職員たちに、励まされ、奮起させられ、明日を迎えます。



【世界人権宣言】

 A dream you dream alone is just a dream.
                  A dream we dream together will become reality1
 世界から「ソフィーの選択」がなくなることを夢見て、今、自分の出来ることは何なのか、今、自分は精一杯やっているのか、問い続けたいと思います。



【筆者:志野光子次席大使】

1 David Sheff(2000).All We Are Saying:The Last Major Interview with John Lennon and Yoko Ono. Griffin